音質評価とオーディオ観:1

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 拙サイトにおいての音質に関するコメントの趣旨は,すでにこちらのページで掲載されている方針に則り記述されていますが,BLOGのほうでも念のため再掲しておきます。

* オーディオは,少なくとも趣味として成立している限り自由である。
* 音質評価は主観的なものである。
* 複数の音質評価といえども,客観的ではなく間主観的なものである。
* 音質を言語化して表現するにあたっては,同一の単語が客観的に同じ状態を表しているとは限らない。
* ある単語が客観的にある状態を意味するとしても,その程度についての判断基準は主観的である。
* 技術的な音楽再生手段は,科学的視点に基づいた批判的検討が加えられるべきである。
* 他者がある音楽再生手段を採用していることについて,人格的批判やこれに類する行為をしてはならない。
* 聴いていない製品につき音質に言及するにあたっては,断定的な発言をしてはならない。
* すべてのオーディオ機器・アクセサリーによる変化は,前提たる環境下での結果に過ぎない。
* 個々のオーディオ機器・アクセサリー単独の音を知ることは不可能である。


 まず,音質評価とはどういう性質を持つのかということについて考えてみましょう。
 音質評価には二つの評価法があります。一つは官能検査的手法によるもの,もう一つが分析検査的手法によるものです。前者は音楽鑑賞という手段によって個人の感想という形式で語られるものであり,後者は意図的に作り出した源信号の再現性を機械的な測定結果によって確かめるものです。
 今回は,個人の感想という形式でなされる音質評価について考えてみたいとおもいます。


 個人の感想という形式でなされる音質評価において最も重要なことは,『感想形式の音質評価というのは主観的なものであって,それが自己にとっての真実だとしても,他者にとっては真実たり得ない』ということです。

 たとえば,Aさんが「システムXはピラミッドバランスだね」といい,Bさんが「システムXはハイ上がりだね」といったとしても,論理的には矛盾しません。

 これは,音楽を認識する脳・音を感知する耳が各人異なるという客観的事実から導き出すことができます。また,音楽を聴いて判断するという手法そのものがどうしても鑑賞という行為を媒介としなければならない故に根源的に抱えてしまう特性ともいえます。

 このように,感想形式による音質評価は全て主観であるという立場に立つ場合,論理的には『主観的に好ましい音が客観的に正確な音であるとは限らない』ということもいえることになります(もちろん客観的に正確な音が主観的にも好ましいケースはあるでしょう)。

 つまり,音楽鑑賞を媒介とした感想形式によって音質を主観的に評価する限り,「好み」の問題から逃れることはできないということになるわけです。


 では,音質評価を“述べる”行為というのはどのような性質の行為なのでしょうか。
 この点について,オーディオにおける思考法として,演繹法的オーディオ観と帰納法的オーディオ観を比較することで,説明を試みたいとおもいます。

※ 続きます