オーディオ評論はそのまま読んではいけません?

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「オーディオ評論」はなぜ滅びたか?

http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0404/12/news002.html
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0404/12/news002_2.html

 なかなか興味深い記事でしたので,ご紹介します。AVライターの小寺信良さんの記事です。小寺信良さんといえば,最近はダビング10がらみの著作権問題についても大変積極的に活動されていて,個人的に注目している方の一人です。

 今回は,人間の記憶はいいかげんだ,という視点での切り口でしたが,もう少し踏み込んで,雑誌という媒体に限らず,広義の出版業というものは広告によって成り立っていて,評論家の収入源は元を正せば広告主のお金であることが多い,という視点にたってさらに掘り下げていただければ嬉しいですね。

 今後は,公平・公正な比較を行ったとして,その記録が正確であるという保証はないわけですから,評論における全てのプロセスの正当性をどのように担保するのか,という課題にどのように取り組むのかが,問題になるかもしれません。
 まぁ,現状端的に手っ取り早いのはオーディオに関心のある読者を公募してブラインドテストでもすることではないかと思います。ただ,それにしても,各人がどのような嗜好を持ち,どこに注目して聴いたのか,といった情報は必要不可欠でしょうね。
 あとは,逐一商品を測定することでしょうか。特にオーディオコンポーネントは測定結果が無ければ(かつそれが正しかろうと思われる根拠も含め),徐々に信用されなくなってくることでしょう。今思い返しても,ステレオサウンド誌の測定の企画は素晴らしかったとおもいます。

> 結局のところ、自分の絶対値を信じて順番に試していくオーディオや映像機器の“横並び評論”は、単に“評者の好み”でしかあり得ない、ということになる。そんな個人的なことで優劣を決めたものが、別の個人の役に立つのだろうか。

 前段は,金銭が絡まない限りは,まさしくその通りだとおもいます。ですから,「行間を読む」という能力が特にステレオサウンド誌の購読においては重要で,それはすなわち,「評論家の思想と嗜好を探り,読み解く」,という作業に他なりません。文字面をそのまま追っているだけでは,得られる情報は半分以下だと思います。
 いずれは,wikipedia形式で,『オーディオ評論家を読み解く』といったコンテンツを立ち上げてみたいところですねw

>ただ残酷なようだが一つ言えることは、すでに世論は「雑誌」という旧態然としたメディアの上にはない、ということである。

 残酷なようですが,オーディオ業界は未だ紙媒体が主流ですw

オーディオ評論はそのまま読んではいけません?」への4件のフィードバック

  1. 大天使心得

    広告主の「お布施」が収入源だということはその通りなので、しかし他方で電気洗濯機のように需要が多かったり読者数が一定確保できる世界でもないので、自費で買って分解確認する「暮らしの手帖」的なやり方は,アマチュアがゲリラ的にやる意味は十分あると思うのですが、継続的な商業ベースの評論としては成立しないでしょうし、結局「測定」あたりが「客観的」で現実的な範囲と思われます。

     評論記事にはスペックをだらだら並べるものが多いのですが、その方が評者も楽であり、一見「客観的」に見える、というメリットもあるから余計そうなる傾向にあります。一方、オーディオは技術ベースとはいうものの最終的には主観的・官能的な受け止めで一応完結するものなので、そもそも客観的な評論が成り立つのか?というところから押さえていく必要があるかと思います。そういう意味では小寺氏の言われることは評価する人間の記憶の曖昧さを突いているのですが、結局は最終的なアウトプットである「言葉」をどこまで厳密に定義するか?という事になろうかと思います。 

     言葉には限界があり、それをより明確にしようとすると、評者が言葉を厳密に定義し、場合によっては評者間でそれを調整・統一する必要があります。さらには評価の基準として、周辺機器・試聴環境を揃えないと共通性は担保されません。もちろんそういうことに常に留意していくことが絶対に必要だとは思いますが、そこまで統一調整出来るか、実際にする価値があるのか?というのが私が感じる疑問です。もし部屋が変われば評価も一斉に変わるのなら、それも困ったことになるかもしれませんし、多種多様な言説の価値を減じるかもしれません。

     音楽評論やグルメ評論が「客観的」であるとは誰も思わないし、求めないでしょう。コンクールでさえミスタッチを何回したから、というのが基準にはならないのと同じです。
     ですから私は雑誌などの評論は「速報」であると思っています。言葉によるこういう情報がなければその機器の存在さえ知り得ないでしょうし、言葉の上でもある程度の方向性は何とか把握できるだろうと思うからです。そしてそういう情報によって自分が関心を持つべき製品かどうかを把握し、それを「引き出し」に入れておいて、ショップやショーで、あるいは他の方のシステムを聞かせていただく段階で参考にすればよい、と思うのです。たとえ「行間を読みに」いってもそれを刷り込むようなことはせず、自分で聞き確認するまでは確定しない参考情報だというスタンスです。

     とりとめのない長いコメントになりましたが、「他方,コスト的に分解して考えることの落とし穴というのもあります。次回はその点について考えてみましょう。」という続編に対しての強い期待を表明して、とりあえず結ばせていただきます。妄言多謝。

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  2. えるえむ

    >評論記事にはスペックをだらだら並べるものが多いのですが、その方が評者も楽であり、一見「客観的」に見える、というメリットもあるから余計そうなる傾向にあります。

    単なるスペックを語る記事は,最も読み応えのないパターンのひとつですね。
    スペックを測るというのは,メーカーから提出されたものを追認するというのではなくて,やはり筆者自身が測定してしかるべきだとおもいます。
    最近はシミュレーションソフトもありますから,そんなに難しいことではありませんしね。
    その上で,官能的な部分について語ればよいとおもうのです。
    ソナスのストラディバリ・オマージュをIASで聴いたとき,まさかあれほど優れた周波数特性を持つSpだとは思いませんでした。皆さんも同様に驚かれたと思います。
    そこで,周波数特性のフラットさは,どこまで聴感的・官能的な受け止め方に影響するのかという新たな疑問が生まれてきます。それで良いのだろうと思うのです。
    疑問をもって考えてみる,ということが大事なのであって,それは,自分自身の琴線に触れる部分がいかなる要素なのか,ということを見つめる事につながると思います。

    >結局は最終的なアウトプットである「言葉」をどこまで厳密に定義するか?という事になろうかと思います。

    感覚を表現するのに,言葉はあまりに情報が少なく,また誤解を招きやすい手段です。
    定義付けをするための単語ですら,ほとんどは比喩的表現に過ぎず,また抽象的なものであることがほとんどだとおもいます。

    こうした言葉の定義付けのハードルをなるべく下げるためにオフ会は極めて有効な方法だと考えています。
    オフ会で大事なことは,相手の目指す音楽への姿勢を学ばせていただくだけでなく,相手の感性を理解すること,相手の言説を理解することでもあるとおもいます。ですから,原則として相互訪問が基本だと思っています。
    相互にシステムの音を聴き,音楽への拘りと愛情を理解することで,相手が言葉をどのように使っているのかを理解するきっかけが生まれる,とオフ会を重ねているなかで感じています。
    そのうえで,自分の感じたことを相手に伝えて,相手と意見のすりあわせをすることが必要だと思います。これは相手のスタンスを否定するわけではなく,どのように捉えているのかをお互いに理解することに繋がります。
    私は拙宅でのオフ会の時に必ずだめ出しをして欲しいとお願いしておりますが(笑),これは相手の大事にしている部分をきちんと把握したいからです。

    >たとえ「行間を読みに」いってもそれを刷り込むようなことはせず、自分で聞き確認するまでは確定しない参考情報だというスタンスです。

    評論家諸氏の個人宅にはなかなか行くチャンスがありませんから,実際に機器を聴いてすりあわせをすることで,行間をより深く読めるようになるのではないでしょうか。いきなり行間を読めといわれても難しいですし,私より遙かに深く読まれている方も数多くいらっしゃるとおもいます。

    >とりとめのない長いコメントになりましたが、「他方,コスト的に分解して考えることの落とし穴というのもあります。次回はその点について考えてみましょう。」という続編に対しての強い期待を表明して、とりあえず結ばせていただきます。

    ご期待いただき,ありがとうございます。
    誤解を招くといけませんし,言い回しが難しいので,なかなかエントリとして出せるものになるのには時間がかかるかもしれませんが,尻切れトンボにならないようにしたいと思っております。

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  3. 諸行無常

    >残酷なようですが,オーディオ業界は未だ紙媒体が主流ですw

    いや?オーディオ雑誌は、もう生命維持装置でかろうじて生き永らえている状態ですよ。
    広告費で維持されてるだけです。少子化の流れからしても、この先部数は減り続ける事はあっても増える事は無いでしょう。
    ちなみに自分の若い時分にはGOROとかスコラなんてエロ雑誌ですらオーディオの記事が載ってたんですよね。でももう、それらの雑誌そのものが全滅してしまった。
    FM雑誌もかつては五冊位?出てましたが、結局全部潰れてしまいましたね。
    オーディオ雑誌も遠からず同じ運命をたどると思いますよ。
    AV雑誌はBDやハイビジョン特需でここしばらく売れ続けるかもしれませんが、十年もしたら潰れてるかもしれない。有機ELかもっと凄い方式か知りませんが、格安で超高画質の大画面が手に入るようなったら、みんなそれに満足してしまって雑誌でまで情報を漁る人間はほとんどいなくなるんじゃないですか。

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  4. えるえむ

    諸行無常さん,コメントありがとうございます^^

    >いや?オーディオ雑誌は、もう生命維持装置でかろうじて生き永らえている状態ですよ。
    >広告費で維持されてるだけです。少子化の流れからしても、この先部数は減り続ける事はあっても増える事は無いでしょう。

    確かに,既に発行部数(公称)からしても,広告費で会社が成り立っているだけでしょうね。
    団塊世代をターゲットにしたところで限界もありますし,他方で若い世代はオーディオ雑誌に対して関心がないと思います。

    >ちなみに自分の若い時分にはGOROとかスコラなんてエロ雑誌ですらオーディオの記事が載ってたんですよね。でももう、それらの雑誌そのものが全滅してしまった。
    >FM雑誌もかつては五冊位?出てましたが、結局全部潰れてしまいましたね。

    まぁ,せいぜい見かけても特集記事で軽く触れるって感じですね。
    FM雑誌,最後に残ったのがFM Fanでしたか。故長岡鉄男氏のダイナミックテストは楽しく拝読しておりました。

    >AV雑誌はBDやハイビジョン特需でここしばらく売れ続けるかもしれませんが、十年もしたら潰れてるかもしれない。有機ELかもっと凄い方式か知りませんが、格安で超高画質の大画面が手に入るようなったら、みんなそれに満足してしまって雑誌でまで情報を漁る人間はほとんどいなくなるんじゃないですか。

    映像は万人に分かりやすい形で差がでますので,しばらくは市場をひっぱっていくことでしょう。
    最後は,映画の世界ように,ヘッドギアといったものをつけて脳内だけで楽しむようになるかもしれません(笑)。

    CDで大多数の人は満足しているし,mp3でも問題を感じていないでしょう。
    音がいいということより,手軽だということのほうが遙かに社会的には重要視されているのはご存じの通りです。
    かといって,まるで目の前で歌っているかのような,誰にとっても衝撃的なリアリティを出すには,色々とお膳立てしなければならない要素が多すぎる気もします。

    音楽を気軽に聴くのも良いですが,真剣勝負で向き合うのもまた良いものだと思います。
    音楽に甘えるのではない,音楽の楽しみ方をしたいですね。

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