オフ会・オフ会記について考えてみる2

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 引き続き,「オフ会について考えてみる」第2回です。今回は本題のオフ会記そのものについて考えてみることにします。

 オフ会記は訪問者の学習メモのようなものであり,オフ会当事者のコミュニケーションの一手段であり,サイト訪問者獲得の手段です。オフ会記はこれらの要素が絡み合って存在しています(※)。
 第一の要素では,書き手にとっての記録的側面が重視され,第二の要素では,感性のすりあわせや意見交換,感謝・賞賛の意を伝達することが重視され,第三の要素では,他者が理解可能な表現を用いることが重視されます。サイトの開設者によってこれらの要素のどれを重視するかはまちまちで,オフ会記のスタイルが千差万別なのも当然です。

 場合によっては,こんな凄い人の所に行ったことを披露したいという自慢も入っているかもしれません。

 ただ,web上にオフ会記を掲載するにあたって見落とせない点も複数存在します。
 すぐに思いつくものとしては,書き手自身はオフ会記で客観的な存在としていわばストーリーテラーとして登場することがほとんどであること,そして,訪問先の人間からすると特定のオフ会記により印象が誘導されてしまうこと,等が挙げられます(※)。このような点を考慮すればするほど,オフ会記は書きにくいものになります。

 もっとも,上記の問題点はあくまでオフ会当事者の問題であって,他の多くの読み手にとっては困った事態でもあります。

 こうした問題を回避するためには,基本的に褒めるのみに徹するかはたまた肝心な部分は濁して書かないか,限りなく限定的な読者に向けて暗号のような内容にする,あるいは,本心と全く異なることを書く,オフ会の場での発言と異なることを書く(※),くらいしかありません。

 逆に,オフ会現場での発言こそが本心の吐露であるとする根拠もまたありません。

 オフ会記を書く場合には,こうした様々な要素を総合的に考慮してバランスをとる必要があり,書き手を悩ませるのです。バランスをとった結果,主観とずれる,あるいは限定的なものとなることも不可避な場合もあろうかと思います。しかし,人間が社会生活を営む上で,こうした本音と建前はどこにでもあるわけで,このことを責めることはできません。

 現状のオーディオマニア向けサイトを見ている限り,詳細なインプレを乗せることは控える傾向にあると言え,限定的に当事者中心の話題に徹するか,SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)等で気心の知れた仲間に対して限定的に公開するといったスタイルが徐々に流行ってきているように思われます。
 かつての個人サイトの勢いが無くなった背景には,オーディオに関する話題をwebに公表することが,自分にとっては決して有益ではないと痛感したサイト開設者が多い,という事情もあるのかもしれません。長期間サイトを続けている方は,それだけ良く練って表現をされているのだろうと思います。見習いたいものです。

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