音質評価とオーディオ観:2

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 前回の続きです。音質評価を“述べる”行為というのはどのような性質の行為なのでしょうか。

▼演繹法的オーディオ観
 仮に,音質評価を述べる行為が,客観的にそのような音だということを示す意図なのであれば,「このシステムは□□という要素があるので,××という音に聞こえます」という形式になるはずです。
 これは,『□□という要素は音質を変化させる要素であり人間にとって知覚可能な変化量をもたらす→このシステムは□□という要素がある→だから,(客観的に)音質が××となった』という論理の流れになっているためです。三段論法的手法による演繹法的なアプローチですね。

 しかし,どうでしょうか。こうした言い回しに違和感を持つ方のほうが多いはずです。これは,前回指摘したように,正しさを追求するという目的に対して音楽鑑賞という手法をとることは,目的と手段との間に齟齬があるためです。

 確かに,製品開発の現場では,より源信号の再現性を高めようとする場合,こうした演繹法的なアプローチをとるのがベターといえるでしょう。なぜなら,再現性の高さというのは個人の嗜好とは異なる指標だからです。
 ただし,この立場を貫くと,音響機器の製品開発は一切音楽鑑賞のスタイルをとらないことになります(もちろん,何を測定して原信号に忠実だとするかは全く別個の問題です)。音質を言語化しない主義ですと,製品の広告が非常に難しくなってしまいますし,現実的には,そうした思想で作られている製品はなかなかメジャーな地位を築くことができないようです。

▼帰納法的オーディオ観
 さて,オフ会をしてみると実感しますが,皆さん音質評価を述べる際には「このシステムは,○○な音ですね」という表現がほとんどです。まず先に主観的な音の印象がくるわけですね。

 もちろん,なぜ(主観的に)そのような音が聞こえてきたのかということは,探求心のあるオーディオファンの方なら気になるようですし,必ずといっていいほどシステムで支配的な要素は何かという話題になります。
 しかし,ここで気をつけなければならないのは,主たる構成要素を探る行為はほとんどが経験に基づく推論に過ぎないし,脳が経験を整理するために行われるに過ぎないという点です。

 まず音ありきの場合の思考の流れというのは,『このシステムは○○な音だ→○○な音になる理由は◇◇という要素の影響があるのかもしれない→◇◇という要素は音を変化させる』という論理の流れを持っています。これはまさに帰納法的アプローチということができましょう。
 このように,主観的に感得された主観的音質という結果が先にあって,そこから帰納法的にその主因を探るわけですから,蓋然性はあっても必然性はないわけです。
 故に,実験によって確かめることができる程の正確性は担保しないわけですから,個人の音質評価が客観的事実を述べたものだという理解は誤解の元ということになります。

 こうした帰納法的オーディオ観は,物作りに携わっていない多くのユーザーの思考パターンではないかと思います。これは,一つには測定結果がほとんど明らかとなってこなかった国内のオーディオ市場の特質も影響しているかもしれません。
 まずは聴いて気に入るかどうかを判断するというシンプルな方法であれば,誰でも行うことができますから,ユーザーにはなじみやすい思考方法です。何も準備するものはいりませんし,聴いてみればよいわけですから,実証的な正しさを放棄してしまえばこちらのほうが効率的かもしれません。

 次回に続きます。