音質評価とオーディオ観:3

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 前回の続きです。


 さて,帰納法的オーディオ観について,もう少し考えてみることにしましょう。

 帰納法的オーディオ観において最も重要なのは,良い音との出会いだと思います。多くのオーディオファンの方は,ある日ある場所で聴いたある音に衝撃を受けて,オーディオの世界に足を踏み入れたのだろうとおもいます。
 この場合,『なぜそう聞こえるのか?』という問いには明確な解答ができません。なぜなら,オーディオシステムは,全体でもって初めてある特性で音楽を再生するからです。
 そして,それが理論的に確からしいものであるか,人間にとって聞き分けができる程のことなのか,は音質評価が徹頭徹尾主観的だとする立場においては第一に論ぜられることではありません。

 つまり,それがたまたまそのときの思い込み(プラセボ)であろうが,真実そういう性能を有する機器や環境のおかげであろうが,その点は一切不問として,結果感得できた音を主観的真実として思考が始まるわけです。


 このように,根拠を重視する演繹法的オーディオ観は根拠たり得ないプラセボを否定していくことになるところ,結果を重視する帰納法的オーディオ観は,同じ条件ならいつでも同じ効果が得られるのであれば,プラセボもよしとするわけです。
 もちろん,多くの理性的な方は,主観的に聞こえる音質が真実そういう音質だと軽々しく考えているわけもありませんし,自己がプラセボの影響下にある可能性も当然肯定します。しかし,すでに述べたように過程はあまり重要でないわけです。

 この思想が最も先鋭化すると,『理論はどうでもいい。実際に聴いて一番衝撃を受けたプロダクトを買いそろえるべき』という立場になります。これも一つの見識でしょう。


 上述したオーディオ観は,ケーブルによる音質の変化を評する場合も何ら変わるところはありません。

 たとえば,帰納法的オーディオ観によれば,Cさんが「ケーブルαをケーブルβに交換したら,透明感の高い音になった」という表現は,ケーブルβはケーブルαに比べて客観的・普遍的に透明感の高い音がする,ということを述べているわけではないことになります。単純に,当該状況においてCさんはそう感じた,とCさんが述べていると理解することになるわけです。
 そして,その理由が技術的理由に基づくものであろうが,プラセボ効果の類であろうが,それはさして問題ではないということになります。

 次回最終回です。